桃ちゃんの最期の8日間



桃が逝って、早二ヶ月が過ぎました。
心底しんどい出来事でした。
文字通り “ものが喉を通らない” という心境を、多分生まれて初めて経験しました。
でもそんな悲しみ苦しみも、時間という味方と、夫や友人、
そしてHPを見てくださってる方々のお蔭で、どうにか乗り越えられたような気がします。
さー、そろそろしゃんとしないと。
これまで見ることを避けていた、最期の日の桃の写真。
やっぱり涙はこぼれたけれど、ようやく見られるようになりました。
昨年からお約束していた桃の病状報告を書いてみようと思います。
というより、自分自身がもう一山超える為に、書くことがきっと必要なのです。
桃が頑張った8日間、例によって長くなりそうですが、読んでいただけると嬉しいです。(2002.2記)



この冬の桃は、いつにも増して元気でした。
あの寒がりの桃が、今年はそれほど膨らまないし、それはもう活発に動き回って、 元気というよりも絶好調、そんな感じでした。
11月30日金曜の朝、僅かですが、桃の糞に鮮血が付いているのに気付きました。
こんなことは、今まで一度もなかったことです。
注意深く観ていると、普段よりももっとずっと腰を深く落とし糞をしています。
出にくく切れが悪い、そんな様子でした。そして、どの糞にもやっぱり微量だけれど血が。
私は、すぐに主治医のS先生の元へ駆けつけました。
診察の結果、排泄腔の出口付近に内出血が見られるとのこと。
発情中のせいで出血することがありますか?という私の問いに先生は、 そういうこともあるにはあるけれど、その場合はもっと違う場所での出血だとおっしゃいました。
相変わらず元気一杯の桃、しかし先生は難しい顔で余り良くないという診断を下しました。
排泄を妨げるようなところに腫瘍等が出来ているのかもしれないこと。
造影剤での検査も可能ではあるが、桃への負担やリスクが大きいこと。
「とにかく今、私に出来ることは、消炎鎮痛剤を出すこと。あなたに出来ることは、発情を止めること」
そうして、この日は帰宅。
先生の診断は良くなくても、この時点での私はまだ、桃の余りの元気さに事態を甘く見ていたのでした。

私達夫婦の顔色が変わったのは、翌朝でした。
おはようを言いに鳥部屋に入った私達の目に飛び込んできたのは、 お尻に赤黒い糞をだらんとぶらさげた桃の姿でした。
そして多分、お尻が気持ち悪くて、あちこちにこすりつけたのでしょう。
周りのもの全て、止まり木、ブランコ、餌入れ、何もかもが血で汚れていました。
桃が、こんなに大変な一晩を過ごしていたというのに、まるで気が付かなかったなんて何ということ!!
昨日の元気が嘘のように、目を閉じじっとしている桃。
穏やかな土曜の朝が一転しました。
私達は、直ちにS先生目指して出発したのです。

先生は、やはり発情が原因では無い、そうおっしゃいました。
そして入院。
先生は、入院にはとても慎重でした。
それは、最期を飼い主さんの元で迎えさせてあげられなくなってしまうかもしれないからです。
丁寧な説明を受けました。
面会はいつでも出来ます。病状は電話でお知らせします。
でも、元気でお返しすることができないかもしれません。
最期に間に合わないこともあります。
ご了承いただければ、お預かりします。
飼い主のことを思い選択の猶予を与えてくれる説明、 しかしそれはまた辛く厳しい説明でもありました。
私達は、全てを納得了承の上で、桃を先生にお願いすることにしました。
「じゃ、お母ちゃんに抱っこしてもらって」
私の手にちょっとの間だけ戻って来た桃。
ほっぺクシュクシュやお鼻とお鼻こっつんをしながら、私は心の中で  「どうしてこんなことに・・・」 という言葉を延々と繰り返していました。
だって昨日まで本当に元気だったのに、どうして!?
診察の終わりに、先生は両手に包んだ桃を私達へ向けお辞儀をさせながら、こうおっしゃいました。
「お父ちゃん、お母ちゃん、頑張るからね!」
入院の話が出たあたりから、私はもう涙がこらえられなくなっていました。
会計を済ませて病院を出、徒歩で駅近くの駐車場に着くまで、 夫が隣で、「大丈夫、きっと元気になるよ」 と慰めるのも耳に入らず、 私はずっと泣き続けていました。
今から思えば、いい大人が、取り乱し泣き続けるその姿は醜態そのもの。
でもその時は、そんなことまで気が回らないものですね。
桃との別れが来るかもしれないという現実を受け入れられない気持ち、そして恐怖。
私は、幼い子供のように泣きじゃくっていました。
絶望感の中で唯一救いだったのは、最後の先生のこの言葉でした。
先生は、桃がさっきまで入っていた血で汚れた水槽をこちらに戻しながら、こう言われたのです。
「綺麗にお掃除して待っててね、元気になってお迎えに来る日まで」

その願い空しく、日に日に桃は悪くなっていきました。
12月5日の休診日を除き、毎日、面会に行った私を待っていたのは、 残念そうな先生の 「また痩せちゃった」 という言葉でした。
桃は、自分では殆ど餌を食べてはいませんでした。
首筋の羽をかき分け、背中側からそのうの中を見せてもらうと、 三角形の白いソバの実が一粒、透けて見えました。
桃の大好きなものをたくさん入れてもらっているのに、 食べたくても食べさせてもらえなかった美味しいものが、今は何でも食べ放題だというのに、 桃が朝から口にしたのはソバの実がたった一粒!
桃は、日に何度か強制給餌され、薬と一緒に栄養剤や乳酸リンゲル液 (ナトリウム・カリウム・カルシウム等の入ったポカリのようなもの)も投与もされていました。
それでも、どんどんと落ちていく体重。
52gあった体重が、たった4日で40gになりました。

11月30日  52g
12月 1日  48g
    4日  40g
    5日  38g
    6日  38g
    7日  36g
    8日  34g

先生のお話では、そのうから餌が落ちていかず、消化されない餌は嘔吐しているとのこと。
私が、「食滞ですか?」 と尋ねると、そうではなくて、胃腸が機能していないのではないか、 だからカロリーが吸収されず体重が減少しているのではないか、先生はそうおっしゃいました。
不安になった私は、更に質問しました。
私  「単純に体重だけでいうと、生存可能なボーダーラインはどのくらいなのでしょうか?」
先生 「数字だけで言えば、コザクラは、30とか31とか言われてます」
でも先生の顔は曇ったまま。そう、あくまでも数字上のことでしかないのです。
薬にも反応しないし、この急激な体重の減少は普通ではない。
悪い病気だと思う。連れて帰った方がいい。
12月4日。そう言われても、まだ諦められずに桃を先生のところへお願いした私達。
5日頃からは、ほとんど一日中、目をつぶっているだけになり、8日は、目を閉じた上に、 身体や顔が不自然に傾いたまま微動だにしない状態になりました。
先生がおっしゃいました。
鳥にとっての1日は、人間の7日と同じだと。
この一週間、いつ逝っても不思議ではなかった。
そして、正直、今朝はもう駄目だろうと思ったとも。
「桃ちゃん、よく頑張ったよね」
先生が桃に話し掛けるこの言葉を聞いて、 迷いに迷っていた私達にようやく連れて帰る決心がつきました。
緊急時強制給餌用のフォーミュラーAAにリンゲル液、治療薬一式を用意していただき、 薬の分量等の説明を受けました。
もう駄目だと分かっているのに、それでも細かく説明してくださるのが嬉しかった。
そして、綺麗に洗ってきた水槽に、驚くほど軽くなった桃を移しました。
12月8日、悲しい退院です。

家に着いたのは、午後8時半頃だったでしょうか。
帰宅してからは、慌しかったです。
入院室と同じ環境を整える為、室温を36度に持っていくのに、エアコンをガンガンかけ、 合わせてペットヒーター二つも設置。
その合間に、大好きだったヒマワリやお米をくだいて口先まで持っていくと、 桃はくわえてくれました。
でも喜んだのもつかの間、すぐに出してしまいます。
喉は渇くのか、先生の言葉どおり、お薬のお水だけはゴクゴク飲みました。
そうこうしている内に、温度の準備が出来、桃をガラスケースの中へ。
首を傾げたまま、じっと目をつぶり静かにしている桃。
苦しいね。辛いね。 あぁ、でも何もしてやれない・・・。
私は決めていました。せめて今晩は眠らずに、朝まで桃と一緒に過ごそうと。
ゆっくり最期の時間を共有するのだと。
ところが、その思いは叶いませんでした。
10時半を回った頃、夕飯の支度をしに階下へ降りていた私を、夫が呼びに来ました。
夫は、慌てた様子でこう言ったのです。
「桃ちゃんが、変!」
急いで鳥部屋に駆け上がると、桃は痙攣を起こしていました。
ついに来たか! 私は、急いで桃をこの手に抱きました。
桃は、私の手の中で、翼を大きく広げるほどの激しい痙攣を起こし続けました。
夫も私も、殆ど同時に大声で叫んでいました。
「桃ちゃん、ありがとね! ありがとね!」
ほんの数秒後、桃は動かなくなりました。
「死んじゃった・・・」
確か、私はこうつぶやきました。
桃、7歳と8ヶ月でした。

S先生によると、桃の死因は、恐らく悪性の腫瘍じゃないか、とのことでした。
毎日毎日紙をカジカジして、引き出しにこもって、年がら年中だらだら発情中みたいなコだったから、 卵巣などに負担がかかって腫瘍が出来たのかもしれません。
もしそうだとしたら、そのように仕向けたのは私。そういうことです。

私達は、あとで見るのが辛いだろうことが分かってはいたけれど、 それでも桃のどんな姿も残したくて、家に着いてからたくさんたくさん写真を撮りました。
HPに載せるべきではない、載せるつもりもなかった写真。
けれど今回、思いもかけない言葉をたくさんの方から頂戴しました。
“ヒナの頃からずっと成長を見守ってきました”
“自分の鳥のように思ってました”
“仕事で落ち込むことがあると、必ず桃ちゃんに会いに行ってました”
“今までもこれからも、壁紙はずっと桃ちゃんです”
“桃ちゃんを忘れません”
涙が出ました。
桃が、こんなに多くの方に、愛され可愛がられていただなんて知らなかった。
桃は、もしかしたら私達だけの桃ではなかったのかもしれない。
それから考えが変わりました。
最期まで頑張っていた桃に、どうぞ会ってやってください。会ってやって欲しい。
退院後、家に着いて亡くなる二時間くらい前の桃です。



 

あんなに嫌いだった赤いお薬のお水を、桃はたくさん飲んでいました。
最期くらい大好きだった透明な冷たいお水を飲ませてあげれば良かった。

 

お家に帰って来て、いっぱいクシュクシュしたんだよね。
入院中も毎日ね。あんまり気持ち良さそうにしてるから、
「エビぞっちゃってるじゃないの〜」 なんて、先生に笑われたっけね。

  

最期の最期まで、頑張ってた桃ちゃんです。


『桃の最期の8日間』 は、これでおしまいです。
ふわふわで温かくて、いい匂いのする桃はもういません。
でも、私は忘れない。
桃、大好きだよ、これからもずっとね。



あ と が き
桃の為に泣いてくださる方がいる。
私達と一緒に悲しんでくださる方がいる。
一度もお会いしたことがないというのに・・・。
皆さんからのメールやカード、お手紙に胸がいっぱいになりました。
どれだけ悲しみが和らいだことか・・・。
今回ほど、ホームページを作って良かったと思ったことはありません。
皆さん、本当にどうもありがとう。

そして、S先生。
後日、桃が亡くなったことをご報告しに伺った時、
「お役に立てませんで・・・。ご冥福をお祈りします」
と深々と頭を下げられたあと、退院したその晩に私の手の中で逝ったことを知って、
「あなたが迎えにくるのを待ってたのかもしれないね」
そう涙ぐみながら言ってくださったこと、忘れません。
先生に診ていただけて、桃も私達も幸せでした。
心から有難うございました。

それから・・・。
二人の子供を育てるのに多忙な中、桃にありがとうのメールをくれたじらじら。
不安でたまらなかった私に付き添って、病院の桃に会いに来てくれたKさん。
常に私の隣にいて、共に悲しみ、支え続けてくれた夫。
改めて感謝の気持ちを伝えたいです。
ありがとう、ありがとう。
                       (2002.2記)


お花に包まれた桃は、ここにいます。
お嫌でなかったら会ってやってくださいね。


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