桃ちゃんの生い立ち 
 

そのお店の名前は、確か「○○釣餌店」とかいう名前ではなかったかしら?
商店街から少しはずれた、金魚と鳥を扱っている小さなお店から 桃はやって来たのでした。

年配のご夫婦が細々と営んでいるそのお店は、私の職場からほど近く、 バレーの練習場所である中学校の体育館へと通う途中にありました。 お店の前の歩道には、だいたいいつも金魚の水槽と文鳥やインコのケージが出ており、 奥には竹製の籠に野鳥類もいたようでした。
私は、お店の前にさしかかると歩調をゆるめ、 お二人が世話をなさっている時は少し遠くから、 どなたもいらっしゃらない時は近づいて、 鳥に話し掛けたりしながら通り過ぎるのが楽しみで、 そうして体育館へと通う日々が3年4年続いたでしょうか。 いつしか私は「雛を育てられる日が来たら、その時はここにお願いしよう」 そう思うようになっていたのでした。

あと何日かでいよいよ退職という平成6年の4月も終わりの頃、 私はバレーの練習着のまま初めてお店の中へ入って行きました。 こんな小さなお店ですから、常時雛がいる訳でなく、 ご主人に小桜インコの雛が欲しい旨を伝えると、 一週間から十日ほどかかりますという返事でした。
そして、ご主人は思い付いたように、
「今ちょうど一羽いますよ。 自力で餌を食べられるまで育ってから欲しいというお客さんがいてねぇ」
そう言いながら、足元にあった茶箱をあけました。
その中にはフゴがあり、ふたを開けるとまだクチバシの黒い小桜の雛が一羽、 こちらを見上げています。 とても可愛らしい顔立ちをした雛でした。
「さくらちゃん、おーよしよし、眠ってたのね」
「わぁ、可愛い!! (きゃー可愛い!可愛い!可愛い!可愛いよ〜!!)」
あ〜こんなコが欲しい、このまま連れて帰れたなら・・・。
私は心の中で大騒ぎをしながら、そんなことばかり考えていました。
そして、懐の中にいるのが好きで入ったらなかなか出てこないことや、 近頃は変った色合いも見られることなど、しばし小桜について雑談を交わしたあと、 別れ際にご主人は、こう言ってくださったのです。
「じゃ、とびきりの可愛い子ちゃんを選んで来ましょ」

そして、翌5月14日。
バレーで東京へ出る日に合わせて、雛を迎えに行くことになりました。
筑波から高速を走って一時間半、お店に到着したのは夕暮れ時です。
私達がお店に入って行くと、 ご主人は前と同じ茶箱の中からフゴを取り出しました。
「はい、さくらちゃん、出ておいで」
どうやら小桜インコの雛はみんな 『さくらちゃん』 という名前のようです。

あぁ、この瞬間をどれほど前から待ち望んでいたことか。
ろくに世話も出来ないくせに、ただ可愛いというだけで安易に飼い 多くの過ちを犯してしまった学生の頃。 小さな命を預かることにきちんと責任が持て環境が整うまでは、 決して鳥は飼うまい、そう思い続けて待ったこの日です。
もう私の胸は、さっきからどきどき高鳴っています。
そして、ついにご対面。
そこにいたのは、前に見せてもらったコよりも小さく産毛も多い、 全身灰色の雛でした。
真っ黒なつぶらな瞳と覗き込んだ私の視線が合います。
胸がいっぱいになって、視界が霞んできました。
このコが今日からウチのコになるんだ、このコが・・・。
涙がこぼれそうになりながら雛をフゴごと胸に抱え、 餌一式を持った夫と共に、私は車へと戻りました。

こうして、小桜インコの雛 『さくらちゃん』 は、 私達の 『桃ちゃん』 となったのでした。

たくさんの雛の中から気に入ったコを選びたい、 そういう気持ちは勿論ありました。 でも、このお店にお願いして良かった。
だって、こんな “とびきりの可愛い子ちゃん” に会えたのですから・・・。
ちなみに桃のお値段は、6,000円でした。
あ、蛇足でしたね。失敬失敬。(^_^ゞ    (1997年9月記)

 

 

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